単身生活オヤジのつぶやき

50近くなって転職、単身暮らしをしているオヤジの視点で、好きなことを書こうと思う。

私の社会人生活・前史最終章

しばらく空いてしまったので、久しぶりに更新します。

Hatena Blogのお知らせが来ていたので、見てみたら100PVを超えたとのこと。

果たして100PVが多いのかどうか分からないが、とりあえず気を良くして前史最終章。

私の父親は父母(私にとっての祖父母・いずれも故人)と父の弟3人で印刷屋を営んでいた。

父親は印刷屋からは引退したが80歳を超えた今でも、とっくにサポートの切れたAppleMACパソコンで版下を作成している。この父親のことについては、後日、別の機会に語りたいと思う。良きにつけ悪しきにつけ、私の人生に重大な影響を及ぼした人なので。

それはさておき、私はその家族経営の印刷屋で高校生位からアルバイトを始めた。アルバイトといっても印刷機に紙をセットしたり、仕上がった印刷物を梱包したり運んだりする仕事だから、クリエイティブな印刷業務ではなく、単なる肉体労働。そこで働くうちに「考えてみたら、就職なんてしなくたって親父の会社で働けば、長男なんだし、いずれ社長じゃん」と安易な考えを抱くようになった。

元々、父は寡黙な人で、私にとっては物心ついた頃から、父と何かについて、じっくりと話をするとか、意見を戦わせるといったことは、あまりなかった。父親とのコミュニケーションは専ら、母を通じて行っていたと言っても過言ではない。父は母に対しても同じように寡黙だったので、今は亡き母にとっては、さぞかし迷惑だったことだろう。

ということで、私は自身の進路について父親の意向を聞くことも、自分の考えを相談することもなく、いよいよ大学四年生を迎えることになった。ま、ゼミにも入らないし、学校にも行かなかったとはいえ、遊び呆けていたわけではなく、専ら、自身が興味のある国際政治の分野などの書物を読みあさったりしていたのだが、就職については「親父の会社で働く」と勝手に思い込んでいたのである。

当時の就職活動はもちろん就職協定があったが、その前に大体、優秀な学生は内定をもらい、夏休み前にはほぼ自分の就職先は決まっていたと思う。今のような売り手市場だったかどうか定かではないが、バブルの絶頂期で私の同期でも一人で10以上の内定をもらっていた学生がたくさんいた。何て言ったってK大経済学部なんだからね。

そんな折、いよいよ運命の時がやってきた。

夏休みのある日、母から「ちょっと話があるんだけど」と切り出されたので、何だろうと思ったら「お父さんが『輝彦は就職活動もしないで遊びまわっているが、一体どうなってんだ』と言っているよ」と。「えっ??」で、仕事から帰って来た父に自分が親の家業を継ぐつもりだと告げたところ、「俺は、お前に町の印刷工場を継がせるために大学にやったんじゃない」と、一言。それだけ。

真っ青。おいおい、今更どうすんだよ。

ということで、ここから就職に繋がるので、私の社会人前史はここまで。